名前 冨仁(とよひと)さん 年齢 22歳 国籍 日本、京都のお寺の所属 身長 148p 宗派 浄土真宗(室町時代) 前世バージョン ○ 補足 カジュが飛んでいった先は・・・ 土の乾いた地面に、 日本風のがっちりした門がある所でした。 「カジュここは武家屋敷?」と聞くとフルフルとのお返事。 「武家じゃないってことは・・・お寺かな?」 門をくぐると珍しく数段下りる階段あり、 真正面に本堂がみえました。 道より下の地面に建っている本堂の周りは、 手入れが行き届いた広い庭になっていました。まっすぐ続く石畳を進み、 本堂に上がる木の階段を数段上ると、正面に 木魚を叩きながら読経をあげる僧侶の後姿が見えました。 本尊は何の仏様か解りませんでしたが立像です。 私達に気が付いたお坊様は、座ったままクルリとコチラに向かれて、 床に手を付き丁寧にお辞儀をしてくださいました。 それに応えてカジュも羽根を床に付けご挨拶。 パッと頭を上げられた時にみえたインナーさんのお顔は、 絵に描いたような2枚目でした。 「え?こんなマンガみたいなハンサム?!」と、 何度か気のせいかなと考え、見直しましたが、 同じ顔しかこないので、そのままお描きしました(笑)。 彼は顔だけではなく、しゃべる感じもハキハキとし、明るくさわやかな青年でした。 (声が聞こえるわけではないのですが、受け答えの雰囲気がそうなのです) カジュが木魚に興味を示し、音を出したがっていました。 くちばしで突付こうとしたカジュを怒るでなく、 彼はやさしく「そうして欲しくないこと」を伝え 「足で叩くなら良いですよ」と提案してくださいました。 カジュは木魚の上に乗りタップのごとく音を鳴らしました。 「足でも失礼なんじゃないのかな?」とドキドキしつつ… カジュのわがままを許して頂いたことにお礼を申し上げました。 その後、お名前や、僧侶になった経緯や寺の所在地等の質問に移りました。 お名前のヒントは…一文字目は「とよ」という音だったのですが、 豊臣の「豊」ではないらしく「富」「冨」の二文字の候補から「冨」だとなりました。 (調べると、昔は「富」は「冨」と書いたそうです) 二文字目は、紙に書かれた「二」という文字から「仁」だと解りました。 彼は武家の6人兄弟の次男で、10代で出家をし、このお寺に預けられたということです。 初訪では、幽霊などを視るような霊感があり、 それを心配して預けられたのだとお聞きしましたが、 再訪の時お話しているうちに、冨仁さんがいろいろな面で秀才なことが解りました。 (武道もたしなみ、書道も得意で、哲学も読む等) 文武両道な上、この人格のさわやかさ、 どうも長男との泥沼の家督争いを興さないためにという、 裏の事情もあったと思われます。 宗派を聞いてみると「親鸞さん」という言葉がきました。 調べてみれば、浄土宗の開祖・法然さんのお弟子が親鸞さんでした。 冨仁さんが生きていたのは、少し後の世…蓮如さんが、 衰退した浄土真宗を盛り上げた時代だったみたいです。 「この寺の住職なのですか?」と聞くと「違います」とおっしゃいました。 ほとんど布教する旅をなさっていて、滋賀や四国のあたりまで回られたそうです。 浄土真宗は肉食妻帯が許されていたので 「奥様はいらっしゃったのですか?」と確認しましたら 「いなかった」とおっしゃっていました。 親鸞さまの思想にすごく感銘を受け、その教義を世界に広めようと 一生をかけた人生だったのですね。 カジュが木魚タップに飽きて、木魚に顔を乗せ休んでいると、 自分の膝にと招いてくださり、花形のお饅頭をくださいました。 強くて、かっこよくて、賢くて、やさしくて・・・ 「それはモテたんでしょうね?」とお聞きしましたら、 人の良い笑顔でニコニコとはぐらかされました。 (以外にシャイなのでしょうか?) 再訪時もカジュにいろいろ食べ物をくださったのですが 出てくるのがすべて甘いものばかり…彼は相当な甘党のようです。 (特に漉し餡好き) |